餅つき禁止、除夜の鐘禁止、保育園禁止、日本の情緒だとか譲り合いの精神とかはどこへ

今年は、除夜の鐘を中止するお寺さんが多いそうで。
ニュースでも話題になったお寺もそうだけれども、他のお寺でも知らないうちにジワジワと中止になっているケースが多いとか。そして、その理由が地域住民による苦情やクレームの多さやその対処にリソースが避けないというので、個人的には常識が通じない世の中になってきたなぁ、住みにくい世の中になってきたいなぁと思わずにはいられない。
反対派の人たちの理由は、シンプルに「除夜の鐘がうるさい」「テレビが見れない」「安眠できない」というものなのだが、年に一度の大晦日の除夜の鐘は年中行事の一環であって、古来からそうしたもので昨日今日急に始まったものではないことをどのように思っているのだろうかと素朴に疑問だ。
百歩譲って、自分が住んでいる町に急に巨大な新興宗教の建物ができて、そこで大音量で鐘がならされるというのならまだ分からなくもないが、除夜の鐘なんて昔からずーっと鳴っているもので、信仰心のあるなしは置いておいて、大晦日に除夜の鐘をつきにいったり、神社に初詣に行くというようなことは自分がやるやらないは別にして世間一般ではよくあることで、そんなことに文句を言うのはいかがなものかと思のだがどうだろう。
確かにやかましいのかもしれない。
けれど、昔からあるもので、それを楽しみにしている人もたくさんいるわけだし、宗教行事だから、それを反対して潰してしまおうという人がこんなに増えてきているというのがちょっと怖かったりもする。

保育園建設禁止に全力で勢力を傾ける反対派の人々と同じで、「いやいや、じゃあ子供たちにどうしろ」と。これからの日本を背負って行く子供たちの居場所と、自分たちの生活圏がちょっとやかましくなるのとどっちが大事なのよ、と思う。
地価が下がるとか、事故が心配という意見もあるけれども、別段売るためにそこに住んでいるわけでなければ地価が下がれば税金も下がるわけだし、実際問題としてここまで少子高齢化が進んでいる日本で、子供達のためにリソースを割く以上に優先的な課題はないはずなのに、どうしてこう自分のエゴを優先するのだろうかと思う。

 

また、餅つき大会も全国的に禁止の方向に進んでいるとか。こちらの理由は、素人がもちをつくのは時間がかかるので途中で菌が繁殖しやすい、衛生面が不十分で集団食中毒になる可能性があるから、というものだけれども、それだったら芋煮会であったり小学校や中学校でもあるバザーやお祭りのときの炊き出しやらなにやらああいうのは良いのかという話で、もちつき大会のような地域住民が集まって(もちろん出たくない人は出なくてもよい)何かして地域の連帯が高まったりするのは非常によい文化だと思うのに、お役所からの通達という形でこうしたものがなくなっていくというのもなんだかなぁと思う。

 

いずれももともとの文脈は違うのだけれど、根っこのところでは日本の常識というか良識、一般的に普通だったことが壊れていっているという点では共通のものがあると思うし、そこが個人的には非常に残念だと思う。
自分自身はもともとが社交的な性格ではないので、上に挙げたような諸々に参加したり関わったりはしないけれど、今まで通り普通にやっていって欲しいものだと思っている。
むしろ、こうした諸々が進んでいった先は、個人的な主義主張や利害関係の調節が大変すぎて何もできない何も行わない社会になっていくのではないかとそれが心配だ。

どこまで本当かわからないが、アメリカでは、クリスマスを、キリスト教徒以外にとっては宗教的に正しくないからという理由で、公式には「メリークリスマス」と祝えなくなり「ハッピーホリデー」と言い換えているケースも増えているとか。そういうような息苦しい世の中になりそうで、どうにもこれらのニュースが気持ち悪いし、日本の良いところがなくなっていくようで悲しい。

なんだか愚痴っぽいアップになってしまったが、そんなことを思う今日この頃です。