韓国人は祟りを怖れないのか、宗教的禁忌はないのか?
韓国人のチョンスンホなる人物が稲荷神社で狐像を壊し逮捕されたというニュース。
福島県で逮捕された彼は、訪問先付近の神社仏閣に片っ端から侵入し、周辺の仏像・地蔵像・狐像などを100体以上も破壊していたというのだが、、この種のニュースでいつも気になるのは、韓国人もしくは在日韓国人たちにとっての宗教的禁忌についての考え方だ。
多くの日本人にとっては、自分の信じる宗教であるかないかに関わらず、宗教的施設への冒涜や破壊というのはありえない事だろうし、倫理的に酷いことだと感じるだろう。仏教徒だからといって神社に落書きをしたりお稲荷さんを壊したりというのには眉を顰めるし、神道の信者だからといって仏像の破壊などを別に気にしないという人もいない、と思う。もう一歩踏み込めば、教会への冒涜行為や教会の庭園を荒らす行為、あるいはイスラム教のモスクを壊すような行為に対しても、日本人は眉を顰めることだと思う。
それは、八百万の神様がいる日本人の宗教感覚が世界的に少し特別なところも影響しているのかも知れないけれど、それであったとしても世界各地のどんな文化であれ宗教的な聖域・宗教的建築物への禁忌といったものは多少はある。
しかし、彼ら韓国人からはそれがあまり感じられない。
特に日本に対しては過去の歴史的な経緯があるにせよ、それにしても韓国人や在日韓国人による日本のさまざまな宗教施設に対する犯罪行為・毀損行為は後を絶たず、そういう禁忌がまったく感じられない。数年前の仏像盗難事件もそうであったが、そうした宗教施設・宗教的建築物・宗教的アイテムに対する畏敬の念というものが全くといっていいほど感じられない。
これは一体どういうことであろうか。
いわゆるシャーマン的なものは今でもたくさんいる国であるのにも関わらず、どうしてそういう事が平気なのだろうか。
これは民族差別だったり、韓国への嫌悪といった話ではなくて、純粋に民俗学的に不思議な話だといつも思う。
またもっと素朴に、彼らには祟りとかいうものについての恐れなどはないだろうか。特に狐信仰・お狐様などについての恐怖はないのであろうか。狐に関しては九尾の狐などは韓国でも有名でドラマなどにも度々登場する恐ろしい物の怪の筆頭であろうに。。
日本人の多くは、幽霊など信じないという人であっても、狐関連の神像などを壊す・汚すなんてことには、そこそこ恐怖心を感じると思うのであるが、かの国の人にはそういう心理はないのであろか。
非常に疑問である。